参加するすべての人の学びの場としてのワークショップ

8/2パナソニックセンター東京で実施した子供向けワークショップに、プロジェクト科目「Creative Learning Design」のメンバーと参加しました。対面での子供向けワークショップは3年ぶりです。ここまで長かった😅

今回はパナソニックで開発しているILLUMEというプログラムで光の制御ができるデバイスを使った光のオブジェづくりを小学生が体験します。

リモートでの子供向けワークショップは、昨年から再開しています。大学での対面での授業やゼミも4月から再開しています。しかしやはり、子供達と活動するワークショップの楽しさをあらためてじっくり身体でしっかりと感じることができました。

私にとってのワークショップの楽しさとは何だろうかと、終了後から考えています。ワークショップをデザインして、そのなかで真剣に楽しみながら活動する子供達の様子に出会うと、ワークショップデザイナーとしての喜びを感じます。

しかし、それ以上に大きな喜びは、ワークショップというある活動を共にするコミュニティのなかで、ファシリテーターとしての自分の役割を持って関わることができることなのかもしれません。

ちょうど学科で実施している学生向け講演会の記録を整理していたところ、1997年10月の佐伯胖先生による「学ぶということの意味」の音声記録を発見しました。ご講演の中でも佐伯先生は、

「学ぶということは、実践の共同体への参加を通じて、全人格的になって良かった自分自身になるという自分探しの旅」とお話になっていました。

確かに、参加者としての子供達だけでなく、私自身がワークショップという実践共同体への参加を通じて、子供達や他のファシリテーターから沢山のことを毎回学んでいます。

そう考えると、今まで実施してきたワークショップは、作品を完成させるなど、活動を達成することに重点を置きすぎていたようにも感じてしまいます。参加者にとっても、実施する側にとっても明確なゴールがあることは、ワークショップそのものをわかりやすくします。一方で、本来ワークショップのなかで起きる多様な学びの機会を見落としてしまうことにもなりかねないのかもしれません。

もちろん学校教育を否定するものではありませんが、まだまだ達成目標を明確にして授業をデザインしていく学校教育のモデルから、私自身が実施しているワークショップも離れられていないのではと考えてしまいます。

一応活動のテーマはありますが、当日の子供、ファシリテーター、場合によっては見学者など、その場に集うすべての人がいるからこそできる実践の共同体としてのワークショップを、どうしたら実現できるのか、どのようにデザインできるかを考えることに気づいたことが、今回のワークショプへの参加を通じた私自身の学びでした。

そして、もう一つの大発見は、車椅子ユーザーだからこそできる子供へのファシリテーションがありそうだということです。子供達と同じか、少し低い位置から話しかけられるのは、今までの屈みながら話すのとは違う自然な語りかけができる気がしています。

うーん、やはり子供達とファシリテーターの皆さんとの対面でのワークショップはいいですね。ワークショップに参加いただいた、すべての皆さんに感謝申し上げます。

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