ちょびっとに至るまで

ちょびっとに至るまでの話をちょびっと

 ブロック玩具で繰り返しつくったテレビアニメや特撮ヒーロー番組にでてきたロボット、手に傷をつくりながら何度もつくった竹とんぼ、教育テレビを見ながらわくわくしてつくった空き箱や廃材を使った工作、幼い頃に自分自身がつくって、家族や友達にみせて楽しんだものづくりが、本研究をはじめるに至った原体験と個人的なきっかけです。

 MITメディアラボでCricketをはじめてみた1998年に、昔親しんだものづくりにコンピュータを埋め込むことで新しいものづくりができることにとても興奮したことを今でも覚えています。その後、2001年3月に京都けいはんなに開設した大川センターで、株式会社CSKの社会貢献活動として、子どもを対象としたワークショップの研究開発プロジェクト「CAMP」に計画段階から関わらせてもらうことになりました。そこで最初に行ったのがCricketを使った動くおもちゃづくりのワークショップでした。小学校での総合的な学習の時間の導入時期とも重なり、また新しいものづくりや情報、サイエンス、ロボティックの新しい授業として、CAMPで実施してきたCricketワークショップを学校授業向けにデザインし、実践していく機会を得ることができました。そこから大学へ移り、研究と社会貢献活動として、子ども向けの学びの場としてのコンピュータで動くものづくりワークショップや授業を、小学校や科学館、放課後児童クラブなどで続けています。気が付けば、この活動をはじめて22年が過ぎました。

 ものづくりを通じた学びについて、Papert(1980)は、自分自身の幼少期のギアとの出会いを紹介しています。私にとっては、Papertが自身のギアとの出会いを指して言う「Object to think with : 考えるための道具」となるようなものはなかったように思います。Papertはギアを考えるための道具として、算数や数学をはじめ様々なことを考える際に活用していました。私自身がものづくりを通じた学びを明確に意識できたのは、大学を卒業後、株式会社セガでソフトウェア(子ども向けのエデュテイメントソフトウェア)の開発に携わった機会であったかもしれません。その時のものづくりの体験そのものが、今でも研究や仕事をすすめる上で考えるための道具となっています。

 デジタルテクノロジは、多様なものづくりを可能にします。ものづくり体験を通じて、子どもたちが自分にとってが考えるための道具を見つけるきっかけになればと思っています。

 KayとGoldberg(1977)は,「コンピュータはあらゆるメディアとなり得るメタメディア」と表現しました。コンピュータを活用したものづくりは、様々な人々にとって様々な考えるための道具となるものであるかもしれません。

 Papert(1980)はギアとの出会いを “I felt in love with gears”とも表現しています。ギアを好きになってしまう、惚れ込んでしまうような感情は、自分にとって考えるための道具になるための大事な要素でもあります。コンピュータに囲まれて育ってきた今の子どもたちにとっては、 デジタルテクノロジを使ったものづくりは自然に興味を持てて、感情面にも自然と訴えていく活動であるかもしれません。

 ものづくりを一つの活動と捉えて、もっと視野を広げてみると、学校内外のあらゆる活動が児童にとって考えるための道具になる可能性を持つともいえます。野球やサッカーなどのスポーツ活動やピアノや書道などの習い事、日々の遊び、あるいは日常生活そのものの場合もあるかもしれません。そう考えると、子どもたちが一日の大半の時間を過ごす学校はもちろん、放課後の時間も、家庭での時間もすべてが、考えるための道具との出会いの時間でもあります。子どもたちが自ら夢中になれる活動のなかで、自ら考えるための道具を見つけることを通じて、学び方を学ぶことを支援しながら、私自身も学び方を学んでいきたいと思っています。

森 秀樹

*大阪大学人間科学研科博士論文「初等教育におけるディジタルものづくり教育のデザイン 」より一部更新

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